Fan zoneファンゾーン

Vol.35 斉藤 大介

知っているチームのような
安心感

シーズン途中でヴォルティスからオファーがあり、移籍を決意したという斉藤選手。
「3年過ごした仙台を離れるのは寂しい気持ちもありましたが、今シーズンは3試合、合計25分ぐらいしか試合に出場できませんでした。プロである以上、活躍している姿をサポーターやファンに見せたいという気持ちの方が強かったです」

仙台の前は美濃部監督が率いていた京都サンガF.C.に在籍。他にもヴォルティスには、京都で一緒にプレーしていた選手やスタッフが多いという。さらに仙台でチームメイトだったエリゼウ選手もいて、まるで知っているチームに合流するような安心感があったそうだ。
「京都時代、僕にキャプテンを任せてくれたのが美濃部監督でした。積極的に選手の意見を取り入れてくれますし、何よりも指導が熱いですよね。そんな監督の下でまたプレーできることがうれしいです。チームが掲げるJ1昇格という目標のために、監督が目指すサッカーを表現していきたい」

これまで在籍した2チームで、J1昇格やJ2降格を何度も経験してきた。
「J1とJ2ではサッカーの質が全く違います。だから単に昇格を目指すのではなく、今からJ1で通用するサッカーをやっていくことが大事だと思うんです。ヴォルティスはいい形でボールをつなぎながら相手を崩していくことができるので、それを活かしつつ、個人、チームがレベルアップしていく必要があると思います」

斉藤 大介

斉藤 大介

斉藤 大介

ターニングポイントとなった
プロ4年目

5歳の時、大阪・高槻のクラブでサッカーを始め、中学では大阪選抜や関西選抜でも活躍。金光第一高校(現・金光大阪高校)でのプレーがスカウトの目に留まり、卒業後は京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)へ。小3の頃からの夢を叶えたが、プロ1年目で壁にぶつかった。
「小、中、高校とずっとスタメンで出してもらってきて、ひょっとしたらプロでもスタメンで出られるかもという気持ちがあったんです。でも1年目は全然試合に出られなくて、リーグ戦の最終節でようやくメンバーに入ったものの、結局、出場試合数はゼロでした」

紅白戦にさえ出られない日も多く、試合に出るメンバーとは別のグランドで練習やトレーニングをする毎日。だが“いつかあのグランドで練習できるようになるぞ”という気持ちを持ち続けた。

2年目はナビスコカップを含む9試合に出場するが、スタメンは1試合のみ。J2に降格した3年目は再び出場試合数ゼロになってしまう。
「4年目は絶対にないだろうと思っていたのですが、残してもらえたんです。いつも居残り練習をしていたので、そういう日頃の取り組みを評価してもらえたと後から聞きました」

勝負の年だという気持ちで迎えた4年目が、プロ生活のターニングポイントになった。その年からはコンスタントに試合に出場できるようになり、天皇杯での優勝も経験している。
「試合に出られない時期も全力で練習する。当たり前のことだけど、それがすごく大事なんですよね。腐らずにそれを続けてきたからこそ、今の自分があると思っています」

斉藤 大介

斉藤 大介

サッカーを通してしか
伝えられない

今年1月にお子さんが生まれてお父さんになった斉藤選手。だが3月には仙台で震災を経験。そして7月に移籍して、仙台から徳島へ。2011年は忘れられない年になった。
「先日も“今年は本当にいろいろあったね”と嫁と話していたところです。シーズン前はキャンプがあり、震災直後も離れ離れだった時期があったりして、徳島も先に僕ひとりで来たんですね。だから今年はほとんど家族と過ごせなかったんですが、夏から徳島で家族3人で暮らせるようになったのでうれしいです」

震災直後はチームで練習ができず、各自が実家などに戻って自主トレーニングしていた時期もあった。練習を再開した後“こんな時にサッカーなんてやっていていいのか”という気持ちになったこともあったという。
「でも震災を経験して、サッカーをできる幸せとか、僕らがサッカーすることで元気づけられたり、勇気づけられているサポーターがいることに気づくことができました。それに結局、自分たちはサッカーを通してしか伝えられないんだと実感しました。だからサポーターが何かを感じ取ってくれるような懸命な姿、最後まであきらめない姿を見せていきたいです。自分としては得意とするロングボールを活かしたプレーで昇格を目指していきたいと思っていますので、ぜひ熱い応援をお願いします!」

斉藤 大介

斉藤 大介

斉藤 大介

PAGE TOP