ファン・サポーターの皆さまから募集した「私と徳島ヴォルティスの思い出」をご紹介します! 思い出はまだまだ募集中です。 印象に残った試合やシーン、徳島ヴォルティスとのエピソードなど、皆さまの思い出をお寄せください。
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小学1年の2007年からずっと応援しています。 日野優選手や三田光選手とエスコートキッズで一緒に入場したり、サッカー教室で西嶋弘之選手とプレーした際は、いつか自分もヴォルティスの選手になってこのスタジアムのピッチに立ちたいと思っていたのを鮮明に覚えています。その夢は叶いませんでしたが今はその夢を必死で追いかけているアカデミーの応援にも駆けつけています。トップチームのJ1昇格はもちろん、ユースもプレミアリーグに昇格してほしいです。 そしてヴォルティスアカデミー出身選手がトップチームの中心になりJ1やACLで優勝する日を楽しみにこれからもトップチームもアカデミーも応援していきます。
おたけ(徳島県鳴門市)
2014年8月23日新潟vs徳島戦(ビッグスワン)での思い出です。 実はこのビッグスワンの屋根の鉄骨はうちの会社で製作しました(10数本ではありますが)。そのスタジアムで、尚且つJ1で勝ったのはいい思い出です。試合開始前に屋根を見ながら「うちの会社で作ったのはあれかなぁ?」と記憶をたどって必死に思い出していました。
ナオキ(徳島県藍住町)
2008から青山隼さんの個サポをしていたのでそれをきっかけにヴォルティスを応援しはじめた他サポでした。ポカスタも徳島サポーターも徳島の街も素敵で大好きになり都内から通ってました。昇格プレーオフ初のJ1昇格が決まった国立の試合はいつまで経っても嬉しくて忘れられません!青山隼さんを応援していなかったら経験できたなかった出会いと感動の思い出です!
ひとみん(東京都豊島区)
2011年、東日本大震災による未曾有の状況からJリーグの存在価値が問われたシーズンが徳島ヴォルティスを応援している中での最大の記憶だ。 2011年3月6日、開幕戦はホームのポカリスエットスタジアムでガイナーレ鳥取を迎え、雨模様の中、柿谷曜一朗のゴールで勝利。さあ行くぞ!と意気込む状況の中、翌週の東北を襲った大地震で深刻な事態となり、日本全体が沈みかけ、こんな時にサッカーをやっている場合ではないのではないか、という状況のなかでのJリーグの決断が忘れられなかった。 2011年4月23日、Jリーグが再開。被災地に近いアウェイ水戸戦で徳島ヴォルティスの選手たちが躍動する姿をテレビで応援しながら泣いた。 そのシーズンでは徳島ヴォルティスが初めて夢のJ1昇格という目標に現実的なところまできた。もう少しだったが、そんな経験もしてきたから今のヴォルティスがあるんだとしみじみと感じる。 やっぱり地元に愛するフットボールチームがあるというのは最大の財産だと。
ヴォルティス狸(徳島県徳島市(今は大阪にレンタル中))
2019年J1参入プレーオフ決定戦。 リーグ戦が進む毎に尻上がりに調子を上げていった末のプレーオフの激闘。 本当に負ける気がしなかった。選手を中心にどんどん一体感が生まれ、全てを巻き込んで進もうとする雰囲気は間違いなくこのシーズンが一番だと思います。 そして昇格に値するチームはどんなチームなのかを全員が本当の意味で理解できたようにも感じ、この試合であと一歩届かなかった悔しさを糧にできたことで来シーズンの飛躍に繋がる一歩が始まったのだと間違いなく感じてます。 更に何よりも徳島がどんなチームであるべきかを内外に示すための一つの指標となった大好きなシーズンでした。
MAKO(徳島県徳島市)
2017年 ホーム最終戦の大分トリニータ戦、バックスタンドで観戦していましたが、両者譲らず、スコアレスのまま試合は終わるのかと思っていました。どちらかといえば攻め込まれて苦しい試合でしたが、終盤、島屋選手の上げたクロスに渡大生選手の値千金のヘディングゴールが決まり、スタジアム全体の歓声がとても大きかったのと、本当に苦しい試合だっただけに、渡選手のゴールに感動してしまい涙が出ました。 残念ながらその年の昇格は叶いませんでしたが、岩尾主将のセレモニー時の「東京で待ってます」の言葉も2020年の昇格に繋がっていたと思います。大分トリニータ戦後、勝利の余韻に浸りなが、スタジアムを後にして歩いている時に、眩しいくらいのポカスタを見て、ヴォルティスを応援出来ること、スタジアムに応援に来れることが幸せだと思いました。その気持ちは今も変わりません。 これからも沢山の感動を与えてくれる徳島ヴォルティスを全力で応援していきたいです。
MAKIO(徳島県吉野川市)
私はまだヴォルティス歴も浅いのですがその中で選手に応援メールを書くのが楽しみでした。子どものころから心臓が悪く激しいスポーツのできない私には走り続けている選手はキラキラ光って見えました。そんな時ある選手に自分の体の弱さや普通でないことへの辛さを伝えたことがありました。その選手は私に「絶対良くなります、大丈夫です。周りと比べる必要もない」と言ってくれました。嬉しかった。こんな素敵な選手のいるチーム、まだまだ伸びしろはあるはず。頑張ろう!
ストロベリー(徳島県徳島市)
2017年11月、サッカー大好きな夫との初デートがヴォルティスの試合観戦でした! 毎試合、DAZNでのリアルタイム観戦は当たり前、県内外のスタジアムにも何度も足を運んでいます!次は夏に生まれる子どもと3人で応援に行くのが楽しみです♫
つぼっち(大阪府大阪市)
2019年昇格プレーオフ決勝湘南戦。試合終了の笛が鳴った時の選手の顔が忘れられない。
ヴォルティス堂(徳島県徳島市)
2013年12月1日、鳴門市内の某ホテルで結婚式を挙げました。当日結婚式の演出の都合、ホテルから昇格プレーオフに向かう最中のヴォルティスの大型バスが発車を待ってくれ、乗車の皆様に拍手で祝福してもらいました。現場には応援行けなかったけど、無事昇格してホッとしたのを思い出します。おかげさまで、子ども二人に恵まれ年に1回は観戦させてもらってます。
とよぴー(徳島県鳴門市)
2013年12月8日、初のJ1昇格をつかんだJ1昇格PO決勝。 私は国立競技場で応援していました。 右SBの藤原広太朗選手が前線にロングパスを出し、FW高崎寛之選手が頭でそらすと、ボールはGKとDFの間に上手く転がった。京都DFとの競争に競り勝ったFW津田知宏選手。僕たちの叫び声と熱い思いを相手ゴールに打ち込んでくれた。選手とサポーターの思いが頂点に達した瞬間。今でも忘れられません。 あの感動をあの興奮を再びスタジアムで。
兼松義典(徳島県徳島市)
ブラジルW杯直前の特番で、柿谷選手と美濃部監督とのエピソードに涙し(しかし柿谷選手はもう徳島にはおらず)大阪の練習場まで会いに行き、その頃からポカスタ、TSVにもよく行くようになりました。試合日のフラッグベアラーやハイタッチ、サイン会、TSVでの日本人選手はもちろん、外国籍選手との交流は楽しく、優しいウタカ、気さくなシシーニョ、ふた言ほどの母国語を話すと一瞬驚いた後で笑顔を返してくれたジエゴ、最近では、いつも感じの良いエウシーニョ・・・移籍した選手もずっと応援しています。いつか、監督やスタッフとして戻ってきてほしいです。
徳島のねえね(徳島県つるぎ町)
私の一番の思い出は参入初年度のアウェーの仙台戦(開幕戦)で3-0で勝利した試合です。 想定外の複数得点での勝利にテレビの前で興奮気味に喜んでいたことを今でも覚えています。
にわかファン(徳島県徳島市)
2006年から2008年までの3年連続最下位の年は、選手も非常に厳しい経験をしたと思います。 20年経過しても1試合の勝ち負けで感情の浮き沈みがあります。妻も最近は一緒に徳島ヴォルティスを応援するようになりました。 地元のサッカーチームだし、推しメンの選手も必然と見つかりました。これからも一喜一憂しながら、夫婦で応援していけるチームであってほしいと願っています。
憲さんLOVE(徳島県鳴門市)
私が1番印象に残っている試合は2021年3月21日J1ホーム初勝利となった試合です。 雨が強まる中、宮代大聖選手の2点目が決まった瞬間は忘れることができません。あの日スタジアムで観戦できていたことを誇りに思います。
ゆい(徳島県藍住町)
2013年国立競技場でJ1昇格プレーオフのハーフタイムに、電光掲示板に顔のアップが映ったことと、ヴォルティスユニホームを着た人は同志感が沸き仲良くなったこと。
おくぞう(徳島県徳島市)
2013年12月7日夜。当時小学生だった息子を連れて、J1昇格プレーオフ決勝観戦ツアーに出発。一晩バスに揺られて着いた国立競技場。 千代反田選手のヘッドで絶叫し、津田選手のシュートで泣きそうになり、試合後サポーター全員で歌った「J1へ行こ~う♪みんなで行こ~う♪」の大合唱。 涙で霞んだあの日の夜空を忘れることができない。 さあ居るべき場所に早く戻ろう。そして今度は、ポカリスエットスタジアムでJ1優勝の瞬間をこの目に焼き付けたい。 頑張れ!徳島ヴォルティス!!!
Hiroshi.O(徳島県板野町)
柿谷曜一朗選手の町田戦の逆転ゴールです。 相手は首位で17試合終わった時点でJ2リーグで8失点しかしておらず、リーグで最少失点だった固い守備を徳島のスタイルやパスで崩して自分たちのサッカーを首位相手に出来てとても感動しました。柿谷曜一朗選手のホームでのゴールは11年7ヶ月ぶりのゴールで逆転弾だったのでとても印象に残っています。 2023年ヴォルティスのベストゴール1位だったので、首位の町田相手に勝利してとても嬉しかったです。
東條颯斗(徳島県徳島市)
2005年。我が県に誕生したJリーグチーム「徳島ヴォルティス」 初年度の箱推しから時を経て個サポへ。そしてマスコット沼へ。 出会いと別れを繰り返し、大泣きしたこともあるけれど、すべて歴史!!ヴォルティスを応援することは私の活力!! お空サポーターになった母の思い出も一緒に、これからもヴォルティスと共に歩んで行く。 出会ってくださった皆さまに感謝です。
ひろみ(徳島県徳島市)
初のJ1昇格を鳴門で観ていた私は、近くで泣いている人を見て、妻に「あの人泣っきょるわ」と言い終わる前に自身も涙。 大人になってからうれしくて泣いたのはその時が初めてでした。
エステバン(徳島県徳島市)
小学1年の2007年からずっと応援しています。
日野優選手や三田光選手とエスコートキッズで一緒に入場したり、サッカー教室で西嶋弘之選手とプレーした際は、いつか自分もヴォルティスの選手になってこのスタジアムのピッチに立ちたいと思っていたのを鮮明に覚えています。その夢は叶いませんでしたが今はその夢を必死で追いかけているアカデミーの応援にも駆けつけています。トップチームのJ1昇格はもちろん、ユースもプレミアリーグに昇格してほしいです。
そしてヴォルティスアカデミー出身選手がトップチームの中心になりJ1やACLで優勝する日を楽しみにこれからもトップチームもアカデミーも応援していきます。
おたけ(徳島県鳴門市)
2014年8月23日新潟vs徳島戦(ビッグスワン)での思い出です。
実はこのビッグスワンの屋根の鉄骨はうちの会社で製作しました(10数本ではありますが)。そのスタジアムで、尚且つJ1で勝ったのはいい思い出です。試合開始前に屋根を見ながら「うちの会社で作ったのはあれかなぁ?」と記憶をたどって必死に思い出していました。
ナオキ(徳島県藍住町)
2008から青山隼さんの個サポをしていたのでそれをきっかけにヴォルティスを応援しはじめた他サポでした。ポカスタも徳島サポーターも徳島の街も素敵で大好きになり都内から通ってました。昇格プレーオフ初のJ1昇格が決まった国立の試合はいつまで経っても嬉しくて忘れられません!青山隼さんを応援していなかったら経験できたなかった出会いと感動の思い出です!
ひとみん(東京都豊島区)
2011年、東日本大震災による未曾有の状況からJリーグの存在価値が問われたシーズンが徳島ヴォルティスを応援している中での最大の記憶だ。
2011年3月6日、開幕戦はホームのポカリスエットスタジアムでガイナーレ鳥取を迎え、雨模様の中、柿谷曜一朗のゴールで勝利。さあ行くぞ!と意気込む状況の中、翌週の東北を襲った大地震で深刻な事態となり、日本全体が沈みかけ、こんな時にサッカーをやっている場合ではないのではないか、という状況のなかでのJリーグの決断が忘れられなかった。
2011年4月23日、Jリーグが再開。被災地に近いアウェイ水戸戦で徳島ヴォルティスの選手たちが躍動する姿をテレビで応援しながら泣いた。
そのシーズンでは徳島ヴォルティスが初めて夢のJ1昇格という目標に現実的なところまできた。もう少しだったが、そんな経験もしてきたから今のヴォルティスがあるんだとしみじみと感じる。
やっぱり地元に愛するフットボールチームがあるというのは最大の財産だと。
ヴォルティス狸(徳島県徳島市(今は大阪にレンタル中))
2019年J1参入プレーオフ決定戦。
リーグ戦が進む毎に尻上がりに調子を上げていった末のプレーオフの激闘。
本当に負ける気がしなかった。選手を中心にどんどん一体感が生まれ、全てを巻き込んで進もうとする雰囲気は間違いなくこのシーズンが一番だと思います。
そして昇格に値するチームはどんなチームなのかを全員が本当の意味で理解できたようにも感じ、この試合であと一歩届かなかった悔しさを糧にできたことで来シーズンの飛躍に繋がる一歩が始まったのだと間違いなく感じてます。
更に何よりも徳島がどんなチームであるべきかを内外に示すための一つの指標となった大好きなシーズンでした。
MAKO(徳島県徳島市)
2017年 ホーム最終戦の大分トリニータ戦、バックスタンドで観戦していましたが、両者譲らず、スコアレスのまま試合は終わるのかと思っていました。どちらかといえば攻め込まれて苦しい試合でしたが、終盤、島屋選手の上げたクロスに渡大生選手の値千金のヘディングゴールが決まり、スタジアム全体の歓声がとても大きかったのと、本当に苦しい試合だっただけに、渡選手のゴールに感動してしまい涙が出ました。
残念ながらその年の昇格は叶いませんでしたが、岩尾主将のセレモニー時の「東京で待ってます」の言葉も2020年の昇格に繋がっていたと思います。大分トリニータ戦後、勝利の余韻に浸りなが、スタジアムを後にして歩いている時に、眩しいくらいのポカスタを見て、ヴォルティスを応援出来ること、スタジアムに応援に来れることが幸せだと思いました。その気持ちは今も変わりません。
これからも沢山の感動を与えてくれる徳島ヴォルティスを全力で応援していきたいです。
MAKIO(徳島県吉野川市)
私はまだヴォルティス歴も浅いのですがその中で選手に応援メールを書くのが楽しみでした。子どものころから心臓が悪く激しいスポーツのできない私には走り続けている選手はキラキラ光って見えました。そんな時ある選手に自分の体の弱さや普通でないことへの辛さを伝えたことがありました。その選手は私に「絶対良くなります、大丈夫です。周りと比べる必要もない」と言ってくれました。嬉しかった。こんな素敵な選手のいるチーム、まだまだ伸びしろはあるはず。頑張ろう!
ストロベリー(徳島県徳島市)
2017年11月、サッカー大好きな夫との初デートがヴォルティスの試合観戦でした!
毎試合、DAZNでのリアルタイム観戦は当たり前、県内外のスタジアムにも何度も足を運んでいます!次は夏に生まれる子どもと3人で応援に行くのが楽しみです♫
つぼっち(大阪府大阪市)
2019年昇格プレーオフ決勝湘南戦。試合終了の笛が鳴った時の選手の顔が忘れられない。
ヴォルティス堂(徳島県徳島市)
2013年12月1日、鳴門市内の某ホテルで結婚式を挙げました。当日結婚式の演出の都合、ホテルから昇格プレーオフに向かう最中のヴォルティスの大型バスが発車を待ってくれ、乗車の皆様に拍手で祝福してもらいました。現場には応援行けなかったけど、無事昇格してホッとしたのを思い出します。おかげさまで、子ども二人に恵まれ年に1回は観戦させてもらってます。
とよぴー(徳島県鳴門市)
2013年12月8日、初のJ1昇格をつかんだJ1昇格PO決勝。
私は国立競技場で応援していました。
右SBの藤原広太朗選手が前線にロングパスを出し、FW高崎寛之選手が頭でそらすと、ボールはGKとDFの間に上手く転がった。京都DFとの競争に競り勝ったFW津田知宏選手。僕たちの叫び声と熱い思いを相手ゴールに打ち込んでくれた。選手とサポーターの思いが頂点に達した瞬間。今でも忘れられません。
あの感動をあの興奮を再びスタジアムで。
兼松義典(徳島県徳島市)
ブラジルW杯直前の特番で、柿谷選手と美濃部監督とのエピソードに涙し(しかし柿谷選手はもう徳島にはおらず)大阪の練習場まで会いに行き、その頃からポカスタ、TSVにもよく行くようになりました。試合日のフラッグベアラーやハイタッチ、サイン会、TSVでの日本人選手はもちろん、外国籍選手との交流は楽しく、優しいウタカ、気さくなシシーニョ、ふた言ほどの母国語を話すと一瞬驚いた後で笑顔を返してくれたジエゴ、最近では、いつも感じの良いエウシーニョ・・・移籍した選手もずっと応援しています。いつか、監督やスタッフとして戻ってきてほしいです。
徳島のねえね(徳島県つるぎ町)
私の一番の思い出は参入初年度のアウェーの仙台戦(開幕戦)で3-0で勝利した試合です。
想定外の複数得点での勝利にテレビの前で興奮気味に喜んでいたことを今でも覚えています。
にわかファン(徳島県徳島市)
2006年から2008年までの3年連続最下位の年は、選手も非常に厳しい経験をしたと思います。
20年経過しても1試合の勝ち負けで感情の浮き沈みがあります。妻も最近は一緒に徳島ヴォルティスを応援するようになりました。
地元のサッカーチームだし、推しメンの選手も必然と見つかりました。これからも一喜一憂しながら、夫婦で応援していけるチームであってほしいと願っています。
憲さんLOVE(徳島県鳴門市)
私が1番印象に残っている試合は2021年3月21日J1ホーム初勝利となった試合です。
雨が強まる中、宮代大聖選手の2点目が決まった瞬間は忘れることができません。あの日スタジアムで観戦できていたことを誇りに思います。
ゆい(徳島県藍住町)
2013年国立競技場でJ1昇格プレーオフのハーフタイムに、電光掲示板に顔のアップが映ったことと、ヴォルティスユニホームを着た人は同志感が沸き仲良くなったこと。
おくぞう(徳島県徳島市)
2013年12月7日夜。当時小学生だった息子を連れて、J1昇格プレーオフ決勝観戦ツアーに出発。一晩バスに揺られて着いた国立競技場。
千代反田選手のヘッドで絶叫し、津田選手のシュートで泣きそうになり、試合後サポーター全員で歌った「J1へ行こ~う♪みんなで行こ~う♪」の大合唱。
涙で霞んだあの日の夜空を忘れることができない。
さあ居るべき場所に早く戻ろう。そして今度は、ポカリスエットスタジアムでJ1優勝の瞬間をこの目に焼き付けたい。
頑張れ!徳島ヴォルティス!!!
Hiroshi.O(徳島県板野町)
柿谷曜一朗選手の町田戦の逆転ゴールです。
相手は首位で17試合終わった時点でJ2リーグで8失点しかしておらず、リーグで最少失点だった固い守備を徳島のスタイルやパスで崩して自分たちのサッカーを首位相手に出来てとても感動しました。柿谷曜一朗選手のホームでのゴールは11年7ヶ月ぶりのゴールで逆転弾だったのでとても印象に残っています。
2023年ヴォルティスのベストゴール1位だったので、首位の町田相手に勝利してとても嬉しかったです。
東條颯斗(徳島県徳島市)
2005年。我が県に誕生したJリーグチーム「徳島ヴォルティス」
初年度の箱推しから時を経て個サポへ。そしてマスコット沼へ。
出会いと別れを繰り返し、大泣きしたこともあるけれど、すべて歴史!!ヴォルティスを応援することは私の活力!!
お空サポーターになった母の思い出も一緒に、これからもヴォルティスと共に歩んで行く。
出会ってくださった皆さまに感謝です。
ひろみ(徳島県徳島市)
初のJ1昇格を鳴門で観ていた私は、近くで泣いている人を見て、妻に「あの人泣っきょるわ」と言い終わる前に自身も涙。
大人になってからうれしくて泣いたのはその時が初めてでした。
エステバン(徳島県徳島市)